おはよう洗濯日和
未来工房通信
作品を産み出す作家の手しごと展(シリーズ 第一回)
作品を産み出す
作家の手しごと展
琥珀(こはく)
ひとつのモノが出来るまでには、多くの、技術、手間が必要だということ。お金を出せば、なんでも手に入る時代に、ものが出来上がるまでの工程を知り、体験することでモノの価値を、伝えていきたいと思う。
再生ガラス原点をそのままに。
今は、沖縄の伝統工芸として、認知されている琉球ガラス。戦後、駐留米軍が持ち込んだ、ビールやコーラの瓶を、ガラスの原料として再利用したことから始まった。 琉球ガラスの名工、稲嶺盛吉氏のもとで修業。
再生ガラスでの製作にこだわり続けている、現代の名工の一人だ。この人以外のもとでは、ガラスづくりをしたくないと、二年以上、熱心に門を叩き続けた。
今は、ガラスづくりのほとんどが、「原料ガラス」という粉の状態で、調合して、色をつくる製法。色や材質は、そのぶん安定する。 再生ガラスは、廃瓶を利用することで、不純物が混ざり、気泡が生まれ、どこか懐かしい味わいになるのが特徴。
ガラスは、割れる。モノは、壊れる。
お金を出して、金額が高かったから、いいものである、高いから、大事にする、というのは、違うと思う。
例えば、大事なグラスを、10年間一度も使わずに、食器棚で眠らせておくよりも、365日使って、1年間で割れてしまったとしても、十分、金銭的価値以上の役割は果たしたといえる。
どんなモノにでも、出来上がるまでに、いろんな工程があって、価値があるということを知れば、おのずと大事にしようとする心がうまれてくる。
欠けたものは、また、ここで、丸く削って、磨きをかけて、メンテナンスをすることもできる。壊れたときに、簡単に捨てるのではなく、ああ残念だ、という気持ちになるような、モノづくりを続けていきたいと思う。
エコだから、こだわっているわけではない。
戦後、モノがない時代に、本来は捨てられるはずの、廃棄品となる瓶を集めて、ガラスをつくり、売りに行った時代。
当時は、「エコ」「リサイクル」など、きれいな言葉は存在しなかった。 廃棄品からものをつくるなんて、と、批判を浴びて、差別的な扱いを受けた存在でもあった。それでも、それしか材料がないため、職人たちは、努力を続け、想いを貫いて、つくり続けた。
「エコ」とは、このモノが溢れる時代に、社会が作り出した概念に過ぎない。再生ガラスの原点は、当時の人々の「知恵」なのだと思う。時代を乗り越えてきた人々の「知恵」や生き様を、伝える義務があると思い、日々、作り続けている。
Creachair(クリーチェアー)
自分がつくったもので、
自然と、外と繋がっていける
母方の祖父が大工だったので、幼いころから、木の匂いは身近に感じていた。工作やものづくりが、特に、好きだったわけでもない、少年時代。
ただ、その頃の自分の作品を振り返ってみると、糸鋸で、わざわざ、面倒くさい、複雑な作業に熱中していた。椅子は、そのものの存在だけで、完結する。 自分のつくったものが、生活の中にすっと溶け込んでくれたらという思いで始めた。
何も考えずに、一心不乱に、
木を彫っているときが、いちばん楽しい。
子どもの頃、映画「火の鳥」の仏師の姿に、熱中した記憶がある。
椅子づくりには、精度が必要、失敗もある。緊張が続く瞬間もあるが、木を削っているときは、楽しいことだけに没頭できる。
椅子づくりが楽しいのは、張り終えて、出来上がる瞬間。
それまでは繰り返す作業の積み重ね。
製作中は、自分の心が、
大きく波打たないように心がけている。
その心の波が、作品の仕上がりに、大きく影響を及ぼすわけではない。
だけど、仕上がりさえよければ、どんな気持ちや姿勢で取り組んでもいいのか?
と思うようになった。
家具づくりを通して、自分の心の在り様も学ばせてもらっている。
吹きガラス工房
琥珀
〒820-0301 福岡県嘉麻市牛隈1852-2
TEL.090-3417-2322
吹きガラス体験
一般的な吹きガラス体験は、流れ作業の中で、型に息を吹き込み、最後に形を整えるのみ。この工房では、危険ではない箇所を見極めながら、なるべく多くの工程を体験してもらうようにしている。暑さ40~50℃の工房の中で、千二百度に溶けたガラスを、あぶって、吹いて、まわして形を整えて、デザインをつける。この工房は、溶解窯も、吹き竿も、鉄リンも、ほとんどが手作り。温度計もなく、感覚と経験で判断してつくっている。
ひとつのモノが出来るまでには、多くの、技術、手間が必要だということ。お金を出せば、なんでも手に入る時代に、ものが出来上がるまでの工程を知り、体験することでモノの価値を、伝えていきたいと思う。
福岡の椅子とソファーの家具工房
Creachair
〒811-3202 福岡県福津市畦町478-7
TEL.090-9406-2503
自然の中に在る、「美しさ」に家具を通して、
気づくきっかけになれば。
家具づくりをはじめた当初は、自分のデザインを使ってもらいたいという思いがあった。
今は、奇をてらいたいという気持ちがなくなった。自分が作り出せる美しさというのは、こんなちっぽけなものだけれど、日常の中には、ごまんと、美しい自然が存在している。
自分がこねくりまわすより、自然が本来持つ、美しさ、強さ、繊細さを、どうやったら家具に出せるかな、と、日々考えている。以前、フェリーでの旅路で、日が昇り、日が落ちていく様だけを見た。
「ああ、これだけでいいんだ」と感じた。自然の一部を、預かって、使わせてもらっている。